箕面の森を守る

森林保護員は愛称「グリーン・サポート・スタッフ」と言います。 箕面の森で出会ったら声をかけてください。 スズメバチを見かけたり、路の崩落とか植物の不法採取とかの状況があったらすぐにお知らせください。

ぺんFへの郷愁は?…E-P1



オリンパスペンFT  (1966)


或る某記者の慨嘆

タイトルは…
「呪縛」 時代錯誤と見るか、新しいと見るか。


E-P1には正直がっかりした。

ストロボがないのだ。別売りなのだ。
海外の高感度作例を見ると、高感度が得意なわけでもないらしい。

アクセサリで一儲けしたいのかもしれない。

かつて大ヒットしたPenFにあやかりたいのだろうが、PenFとE-P1では大きく違うことがある。

PenFはハーフカメラだった。フィルムが高い時代に画期的で斬新な商品だったのだ。
デザインもいい。フィルムが2倍使えて、描写力の高いレンズを使える一眼という素晴らしさがあったのだ。自慢できるカメラだった。

一方、E-P1はそのデザインは引き継いだものの、これといった斬新な構造はない。ミラーレスは消費者のためというよりメーカーの都合だ。
なによりEVFが別売りだというのも、あざとい。

トイカメラでもチェキでもストロボが付いている時代に、ストロボなしEVF別売りのカメラが売れるかどうか。

私は時代錯誤だと見る。ただ、市場はファッション的に懐かしさを好むだろうから、売れるかもしれない。

でもその売れるはPenFのときの売れるとは違う。


この記者へは多くのコメントがある…。

しかし結論は

オリ(ムパス)は詰めが甘いということ
PenFという看板使った割に
。」



天国の階段ふみはずし…

ヌシの名前は
清滝峠で拾ったので
当初は「キッコ」にしようかと
そう呼んでいたけど
あんまりチッコによく似ているので
いつのまにやら
’むかしの名前で出ています
になってしまった。
まあ、何か天国から転がり落ちたのでは
ないかな、と思うくらい
生き写しで
人の脚の間を歩くのでケツマヅイて
まともに歩けない
腹の上に乗ってくる…
ソファの峰を駆け巡る…
書棚といわず壁といわず伸びあがって爪をとぎまくる…
ただ、初代が得意であって、
まだやっていないのは
回転椅子の背中にしがみついて
メリーゴウラウンドをすること…

三ヶ月後のチコ




チコが我が家へ来て
今日4月27日で、ちょうど三ヶ月が経った。
いまはマルデ「ぬし」のように
熱心にテレビを見て学習している…

奇天烈なポーズで




古いコンテンツを整理していたら、
とんでもないページが出てきた。

イントロではこう書いてある。

 「チコにとって武田さんが最初の人間だったか
どうか先日、本人に尋ねたところ
「ぐるぐるみゃ〜」という返事だった…」

とある。
 動画もふんだんにあり家人と懐かしく
楽しんだ。

 二代目もこんな大胆な行動をとるのだろうか?

URLは
http://shizu7777.hp.infoseek.co.jp
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お座なりを言わない漱石

漱石の『子規の畫(え)』という短編には

 東菊《あづまぎく》によつて代表された子規の畫は、拙《まづ》くて且《かつ》眞面目である。
 才を呵《か》して直ちに章をなす彼の文筆が、繪の具皿に浸《ひたる》ると同時に、忽ち堅くなつて、穂先の運行がねつとり竦《すく》んで仕舞つたのかと思ふと、余は微笑を禁じ得ないのである。
 虚子《きよし》が來て此幅《このふく》を見た時、正岡の繪は旨いぢやありませんかと云つたことがある。
 余は其時、だつてあれ丈《だけ》の單純な平凡な特色を出すのに、あの位時間と勞力を費さなければならなかつたかと思ふと、何だか正岡の頭と手が、入らざる働きを餘儀なくされた觀がある所に、隱し切れない拙《せつ》が溢《あふ》れてゐると思ふと答へた。
 馬鹿律氣《ばかりちぎ》なものに厭味《いやみ》も利《き》いた風もあり樣はない。其處に重厚な好所《かうしよ》があるとすれば、子規の畫は正に働きのない愚直ものゝ旨さである。
 けれども一線一畫の瞬間作用で、優に始末をつけられべき特長を、咄嗟《とつさ》に辨ずる手際がない爲めに、已《やむ》を得《え》ず省略の捷徑《せふけい》を棄てゝ、几帳面な塗抹主義を根氣に實行したとすれば、拙《せつ》の一字は何うしても免れ難い。
 子規は人間として、又文學者として、最も「拙《せつ》」の缺乏した男であつた。永年《ながねん》彼と交際をした何《ど》の月にも、何《ど》の日にも、余は未だ曾て彼の拙《せつ》を笑ひ得るの機會を捉《とら》へ得《え》たた試《ためし》がない。又彼の拙に惚れ込んだ瞬間の場合さへ有《も》たなかつた。彼の歿後殆ど十年にならうとする今日《こんにち》、彼のわざ/\余の爲に描《ゑが》いた一輪の東菊《あづまぎく》の中《うち》に、確に此一拙字を認める事の出來たのは、其結果が余をして失笑せしむると、感服せしむるとに論なく、余に取つては多大の興味がある。
 たゞ畫が如何にも淋《さび》しい。出來得るならば、子規の此拙な所をもう少し雄大に發揮させて、淋《さび》しさの償《つぐなひ》としたかつた。

 この文はいかにも寂しい思いがある。
 短歌や作詩、評論など文章においては「まったく拙のなかった子規」が
ひとたび絵筆をとったらば、とても拙い絵を描いてしまった。
 それを漱石は「まずい」とは認めながらも、文芸の才能や人間性では
決して子規はそうではなかった、としみじみと述懐している。
 けだし『名文』の見本だろうと思う。

 私が二代目チコを見て、夭折した初代を思い出すとき、
同じような寂しい思いにとらわれるのと共通するような
気がする。

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Appendix

ドッペル

ドッペル

ドッペルくんというのは[分身]という意味らしい。
私の仕事は森林保護員…採用されてから足かけ5年になる。「ドッペル」というのはドッペルギャンガーの略でスイス時計の老舗「インターナショナルIWC」にも「ドッペルモデル」があるし自転車メーカーにもある。詳しい由来は本文で…

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